雨の日のくじらコーヒー

好きなことをぽつりぽつり。

石橋を金づちで叩きまくる

 身体を鍛えている人が、「自分の身体を鍛えれば鍛えるほど結果が見えるから楽しい」と言うことがある。『結果にコミット』というトレーニングジムもあったような。
食べ物や運動に気を付けると、ぶにぶにの身体がメキメキと引き締まり、メリハリボディが我が身体になる。自信にもなるし、自分の引き締まったお腹を見るのはさぞかし気持ちいいだろう。


ではメンタルはどうだろう?メンタルも鍛えられる?
私は、鍛えられると思っている。


 離婚するまでの私は、かなり貧弱ガチガチメンタルの持ち主だった。「豆腐メンタル」というコトバがあるが、私のソレは「砂糖コーティングされたおぼろ豆腐」みたいなもので、かなりの甘々グズグズっぷりだった。「石橋を叩いて渡る」と言うけれど、「石橋を金槌で叩きまくってひびを入れた挙句、ほらやっぱり危なかったんだ!」と肩で息を切らせながらやっぱり渡らないような人間だった。


 でもいくら甘々おぼろ豆腐でも、離婚して一人で食べてかなくちゃならない!となればグズグズしたり、金槌を握りしめてはいられない。専業主婦だったから、仕事探しからしないといけない。


 そこで、おぼろ豆腐なりに考えた。せっかく振り出しに戻ったんだから、やりたいことやったらいい。今まで金槌のせいで、あれやこれやとやらないで終わり、たくさんたくさん後悔してきた。もう一生分の後悔ノルマは達成したはず。だから後悔はしないように、後悔が少ないように生きよう!


 そう思ったら、怖くて運転できなくてペーパードライバーだったけれど、車で1時間のやりたかった仕事につくことで運転度胸がついて、一年後にはあちこち300kmくらいはポンコツ軽自動車でドライブするようになっていた。


 そんなこんなでいろいろやっているうちに、「どっしりしている」と評されるほどのメンタルの持ち主になった。
 最近は「石橋を歩きながら考える」人間になっている。先に考えたってどうしようもないし、人生がどう転ぶかなんて全くわからないということを身をもって体験してきた。
「一寸先は闇」というけれど、「一寸先は光」かもしれない。そんなわからないことをグジグジ考えている暇があったら、好きなことをやってみた方がいい。後悔を少なくするには、自分の思ったことをやってみたらいい。やらない後悔よりやった後悔の方がいいというけれど、だいたい「やった後悔」なんてしたことがない。やらなきゃわからなかった、と失敗すら肯定できる。


 ある意味、どん底まで落ちたら、後は這いあがるだけ。


 私の座右の銘は「なるようになる」です。



いつもお世話になってます


 近頃はインターネットの普及で本当にいろいろなものが便利になったと思う。
宅配ピザもネットで頼めるし、荷物の時間変更もネットやLINEで頼める。そしてさらにはクリーニングだってネットでクロネコさんが取りに来てくれる時代だ。


 そんなサービスをフル活用し、私の狭い狭いシングルルームでの一人暮らしは快適に保たれている。
 お布団は季節が終わったらクリーニング保管付きサービスで次の季節まで清潔に預かってもらう。冬物のコートやセーターも同様に別の業者にケアしてもらう。クリーニング屋さんにわざわざケアしてもらう必要がない冬用の下着やパジャマ、ボアのパッドシーツなどは段ボールごと管理してくれるサービスで次のシーズンまで保管してもらう。
 日常的には重たいものはネットスーパーを利用。大好きなシャンプー・リンスはネットでなければ買えないし、お気に入りのコーヒーもネットがあるからこそ、新幹線で2時間半+車で1時間かけて買いに行かなくて済む。
 うん、本当にいろいろな快適サービスに私の生活は守られている。


 それもこれもインターネットの発達のおかげだ。
そして、なんと言っても今やすっかり社会問題化した「宅配業者さんの過酷な労働」のおかげだ。


 仕事が遅いから20時~21時の宅配を頼むことが多くて、いつも気が引けていた。前に住んでいたところのクロネコのおじさんはいつもフライング気味に来ていたけれど、少しでも残業を減らそうという気持ちだったんじゃないだろうか。
 
 今は宅配ロッカーのあるマンションに引っ越したので、宅配業者さんの都合の良い時間に来てもらってロッカーに入れてもらえるので、こちらとしても気兼ねなく頼める。


 集荷も頼めるから重たい箱をコンビニまで運ばなくて済む。本当にありがたい。


 だけど、そんな私たちの快適さのために、大量の荷物を扱う宅配業者もいるわけで。サービスかもしれないけれど、自身の生活を犠牲にしてまでしなければならない仕事なんてないと思うから、そのあたりの業務改善は企業努力と社会の理解も必要だろう。


 今日も私の快適な生活を維持するために、段ボール3箱の集荷をお願いした。台車を持ってきてくださいね、と事前にお願いしていたので、一回で持っていってもらえた。
 
 今までにクール便が常温になってたり、箱がびりびりになってたり、荷物が行方不明になって探してもらったら、下関市にあります!なんて、「なんで?」なこともあったけれど、それでも日本の宅配サービスは信頼度が高い。


 今日も宅配業者さんの残業が少なくて済みますように。
おうちで待っている家族のところに早く帰れますように。


 いつもありがとうございます。


 
 

わるくち

 悪口と愚痴の違いはどこにあるのだろう。
誰かのことを愚痴っていると、段々それが悪口を言っているような気分になってくる。
どこかで相手を批判する気持ちが強くなって、自分が辛かったという話から、相手が悪いという話になっていって、それでそういう気持ちになるのかもしれない。


 根底に優位に立とうという思いがあるのか、周りの人を批判したり、けなしたりする人がいる。他人には厳しいことを言うけれど、自分は平気で時間を守らなかったり、笑ってごまかそうとする人がいる。「自分も悪いけど」と枕詞は言うけれど、そのくせ全く悪びれた様子もなく相手の批判を繰り返す人がいる。
 そんな人がいつも近くにいて、そんな言葉ばかりを聞いていると、徐々に自分の心もむしばまれていく。だから距離を取ろうとしたり、相手の言葉にやんわりと違う見方(「でも彼女も頑張っていると思いますよ」とか)を伝えても、不服そうにさらに悪口をかぶせてきたり、こちらが聞く気がない態度をとっても気にせずに悪口を言い続けたりする人は多い。おそらく自分の言葉のほとんどが周りを貶める言葉になっていることに全く気付いていないのだろう。
 そんな人がいつも近くにいると、どんどんストレスが溜まっていく。自分のこともほかの人に同じように悪く言っているのだろうな、と相手への不信感が募っていく。そして気付くと誰かにその人のことを愚痴っているつもりが悪口へと変貌している。
 悪口は感染力が高いのだ。


 そんななか、どんな場面でも悪口を言わない人がいる。周りが何人かで集まって(大体女性が多いけれど)誰かのことを批判していても黙って聞いているか、何か別のことをしている(もしくはフリをしている)。
 とても賢い人だなと思う。そして感染力が及ばないくらい強いメンタル免疫の持ち主だなと思う。
 もっとも、そんな人のことを、「いつも黙っていてずるいよね」とやっぱり攻撃する人はいるわけだが。


 黙っていても喋っていても批判されるなら、黙っている方がいいな、と思う。
少なくとも悪口を言うことで、さらに自分の中に強いマイナスの気をため込まなくて済む。悪口は言えば言うほど相手を意識し、さらに相手への攻撃性を高めていくように感じる。発散されるどころか、どんどん怒りのマグマが溜まっていく。
 
 嫌いな相手に自分の貴重なエネルギーを注ぐなんて、なんてもったいない!その爆発的なマグマのようなエネルギーを自分の好きなことや家の片づけに使えたら、ずいぶんとスッキリするし、部屋もきれいになるはずだ。
 最近は、私も「悪口を言わない人」を真似ようとそんな風に思うようにしている。


 愚痴を言う相手も気を付けなければならない。愚痴のつもりが悪口大会にならない相手と喋らなければならない。
「ふうん、大変だったね~」と聞き流してくれる人でなければならない。聞き流せない人だったら、相手にもマイナスの感染力で不快な思いをさせてしまうし、結局のところ、「白峯さんはいつも愚痴とか悪口とかばっかり言っていて、一緒にいると疲れるんだよね」と言われてしまうかもしれない。


 聞く相手の気持ちも考えて。


 全く言わないで生きていくのは無理だし、それこそ変なストレスだけが蓄積されてしまうから、適度に放出しつつ。
 そして自分が聞き役の時も気を付けて。
 悪意の増幅力はすさまじい。自分で自分を穢さないように。無駄なエネルギーを使わないように。


 省エネモードで生きるようになって、そんなことも考えるようになりました。