雨の日のくじらコーヒー

好きなことをぽつりぽつり。

雨はともだち

 

本当に天気を操れるわけではないのに、「晴男晴女」「雨男雨女」という言葉が日本では普通に言われていて、「私晴女だから大丈夫!」と旅行前に自信を持って言っている人なんかもいる。


 私はこの2分類で行くと、確実に「雨女」に属する。だから「晴女」を豪語する友人の横で、「あ・・・、ごめん。私雨女なの」とためらいながら言うことが多々ある。大体晴女たちは「大丈夫!私が晴らせて見せるわ!」とどこから出てくるのかわからないけれど、晴パワーの圧倒的な自信で励ましてくれる。頼もしい限りだ。
 まあ、その後実際に旅行に行ってみたら、しとしと雨が降ったりなんかして、晴女に「あ~、凌子ちゃんの雨パワーに負けたわ」とちょっと嫌味をこめられたりして、実際には私が悪いわけではないだろう雨降り天気について「ご・・・ごめんね」と妙に責任を感じたりするわけです。なんとも理不尽。


 私は本当に人生の節目節目で雨と相性が良いというか、思い出は雨と共に、と歌になりそうなくらい、何かと雨と思い出が結びついていることが多かった。
 卒業式には必ず雨が降るし、結婚式も雨、離婚届を出した日も雨、就職すれば出社初日は雨。この中には卒業式が猛吹雪だったり、出社初日が台風襲来という激しい思い出も含まれている。
 旅行に行けば雨がしょっちゅう降るので、写真で旅行を振り返ると傘を持っていたり、曇り空の下で見通しの悪くなった景色を撮っていたりしている。


 これくらい雨と縁があると、逆に降らないといけないような強迫観念が生まれてきて、旅行で晴れていたり、新しい職場に初出勤する日に晴れていると「う~ん、何か悪いことが起こるのかな?」と心配になるくらいだ。刷り込みは恐ろしい。


 小さいころ、キャンディーの包み紙に誕生日に由来したどこかの国の守護神が書いてあって、私の誕生日は「パルジャニア」と書いてあり、その神様は雨の神様で、ものすごく、本当にものすごく納得がいった。
 今この記事を書くために改めてネット検索してみたら、私の幼い記憶は相当強烈だったせいか正確で、なんとこの神様はインドの雨の神様だった。あのキャンディ、どうしてインドの神様を引っ張り出してきていたのだろう。どこのメーカーのキャンディだったか、どんな味だったかは全く覚えていないけれど、雨の神様の名前だけは正確に私の中に刻まれていたようだ。


 とにかくこのインドの神様は私の中に深く刻まれ、いまだに雨の日にちょっと出かけなければならない時に「私が歩いている間だけ少しだけ雨を抑えてください」とパルジャニア神に祈ってみたりする。そうすると不思議なことに私が駅まで歩いている間は雨がやんだりすることがあるのだ。家の中で雨を眺めながら「土砂降りになれ!」と思うと、本当に土砂降りになったりすることもある。自分が雨をコントロールしているかのような錯覚にとらわれて、しばし楽しめる。まあ、いつもうまくいくわけではないし、当然普通に土砂降りの中を傘を差して足元をぐしゃぐしゃにして通勤することだって多々ある。
 でも私にとってインドの雨の神様はちょっと親しいような気がするのだ。


 そしてちょっと平和に「干ばつで苦しんでいる国に私が行ったら、少しは雨ごいの巫女として役に立てるかしら?」なんて妄想してみたりもする。本当に役に立てたらいいのだけれど。


 Facebookには「雨男雨女協会」というページがあって、日本全国でちょっとダムの水量が足りないというときに、「雨男雨女の皆さま、〇〇県××市が雨不足のようです。ご協力お願いします」なんて情報をUPしていたりする。私はこういうセンスが大好きです。よし、ちょっと私も協力してみようかな、なんて思ったりします。
 ぜひ全国の雨男雨女の皆さんも自分のちょっとした「雨力」を信じて、人生を楽しんでみてほしいなと思います。

酒飲みの美学

 私はけっこうお酒は好きな方だと思う。それもけっこう本気で好きな方だと思う。よく「外では飲むけど家では飲まない」という人がいるが、私は家で一人で飲む酒がけっこう好きな類に属する。20代の頃はカクテルの勉強なんかもして、カクテルスターターキットなどを買って家で作ってみたりしていたくらいだ。でも基本的に好きなのは日本酒とワイン。ビールはここ一年炭酸を飲むと体調が悪くなるという状態になっているので控えている。もともとビールも大好きなのでこれは非常に残念だ。


 私の酒に対する姿勢は真摯そのものなので、周りから見たらちょっと面倒くさい人かもしれない。日本酒イベントに行き、友人女子たちが無邪気に楽しんでいる横で、自分が試飲した日本酒の感想をリストに書き込んだりして、新たな酒の出会いを探求するし、百貨店などで酒を探す時は試飲ができるものは出店蔵元としっかり話をして自分の好みに近いものを買い求めるようにする。


 私は本当に酒が好きなので、職場の飲み会だとか付き合いだとかでほぼ強制参加とも言える飲み会でほとんど酒を飲まない。そういったオフィシャルな飲み会は私にとって楽しいとは思えない「仕事」なので、酒が純粋に楽しめない。酒が楽しめない飲み会は飲み会に非ず。そしてそんな酒の飲み方は「私の酒に対する思い入れ」では酒に失礼にあたるので、とにかく飲まない。酔っぱらった上司たちに「白峯さんは飲まないの?」と言われるが、笑顔で「ちょっと胃腸の調子が悪いので」とか「明日も飲み会なのです」「明日は朝早くから予定がありまして」等と防御線を張ってウーロン茶を飲んだりしている。
「酒が飲めるのに飲まないなんて考えられんな」と言われることもあるが、「酒が本気で好きだから軽い気持ちで飲む気はないのですよ!」というのが心の叫びだったりする。「酔っぱらうために飲んでいるのではなく、その味わいを楽しむために酒はあるのだ!!」が、面倒くさい酒飲みの私のポリシー。うん、書いておきながら、自分でも面倒くさい酒飲みだなぁと思います。


 さらに40歳を過ぎたあたりから酒の飲み方も変わってきたように思う。しっかりやわらぎ水やチェイサーを手元に置いて、体内のアルコール濃度が上がりすぎないように気を付けるようになった。
 これは酒に対するポリシーではなくて、単純に「体の代謝や臓器の機能が落ちてきたので、翌日の体調を考えた防御策」で、多量飲酒する年下男友達なんかには「守りに入ってるね」とバカにされることがあるが、心の中で(お前もあと6年もすれば翌日に響いて仕事できなくなるからな)と呪詛をかけたりしている。
 
 でも実際にこの飲み方をするようになって、ある程度飲み進んでも酒の味がしっかりとわかるので、面倒くさい酒飲みとしては、正解だったなと思う。酔っぱらうとだんだん「酒ならなんでもいいや」となってしまい、せっかくのおいしい酒も味わうどころでなくなってしまう。だが今の飲み方だと、「へぇ、滋賀県の酒は意外と雄酒なのだな」とか「空気に触れてワインの風合いが変わってきたな」とかいろいろ考えながら楽しめるのだ。


 日本酒をたくさん扱っている店で飲むと、大きなグラスにやわらぎ水をセットで出してくれるところがある。気の利いた、本当に日本酒の飲み方をわかっているな、とその店への評価がぐっと上がる瞬間だ。だいたいつまみも日本酒に合う小皿系も揃っていて、(このつまみに合うのは辛口か甘口か)と考えながら日本酒リストを眺めるのも楽しい。


 本当に家で飲む気満々の日は、本気の一本をチョイス。その味を想像して、それに合うと思うつまみを買ったり作ったりして、テーブルいっぱいに広げる。もしその一本がワインの場合は、そのワインの生産地の国の映画もチョイス。そして準備万端整えたら、あとは座り込んでひたすら食べて飲んで観てを楽しむ!


 酒は使い方を間違えると害にもなる。だからこそ、酒の作り手に失礼のないような、敬意を持った酒飲みで居続けたいと思う。そういう気持ちでいてこそ、「私は酒が好きなんですよ」と言えると思う。
 何歳まで楽しめる趣味かわからないけれど、いろいろな蔵元やワイナリーの努力を味わっていきたいなと思います。


※写真は酒の神様、松尾大社(京都)



 

神さまとか仏さまとか

 若いころは神様も仏さまも全然信じていなかったと思う。
高校はミッションスクールで5月になれば聖母月、12月になればクリスマスミサなんてのをやっていたけれど、いまいちキリスト教の教えが自分の肌に合わなくて、宗教行事のようなものは、そういうものと縁遠い人たちと同様に「クリスマスケーキを食べよう」とかいうレベルでしか捉えていなかったように思う。
 日本人らしく神社にも年に一度の「イベント」初詣には、親がそういうことを大切にする人たちだったので行っていた。でも子供のころの私のお目当ては、お参りの帰りにする福みくじ(大体当たったことがなくてもらえるのは雷おこしのようなお菓子だったけれど)だったり、屋台で買う天津甘栗だったりした。


それが40を越えたあたりから、なんだか人知を超えた存在というものの大切さを感じるようになってきたから、人間とは不思議なものだなと思う。

何があったというわけではないけれど、一つ揺るぎない存在のようなものを信じることで心の安定の錨の役割をしてくれると思うようになった。


具体的に何かの宗教を信仰するとかではないけれど、そういったことに想いを寄せて、自分の思い通りにはいかない仕事や人間関係や、生活上のもやもやも、安寧な日々に導いてもらえるだろうという(根拠はないけれど)深い信頼、信心を持っていると、けっこうぶれずに生きていけるもんだなあと、ここ数年思って生活している。


そんな私の特技(?)は、「天才的におみくじで凶を引きまくる」なんですが。

常にドン底!これ以下はない!(だから大丈夫、と信じる。)

ある意味、これも何か揺るぎないものの御業(みわざ)なんだろうか?