雨の日のくじらコーヒー

好きなことをぽつりぽつり。

「幸せになってほしいのよ」

 彼氏と呼べる人が特にいない生活を送り始めてどれくらい経つだろう。
 休日は自分の好きな時間に起きて、ちょっといつもより手をかけた朝ご飯を食べることもあれば、グラノーラで簡単に済ませることもある。好きな本を読みふけり、映画を観たり、音楽を聴いて、ちょっとノリノリの曲だったら鏡の前で一人でブンブン踊ってみたりする。毎日が楽しい。


 旅行に行きたいと思えば、誰かと休みを合わせるなんてこともせずにささっと自分のタイミングで行ける。旅行に行けば疲れたらすぐに休み、ぼーっとしたいなと思えば公園に座ってぼーっと過ごす。食べたいもの、飲みたいものも我慢する必要がない。昨日食べ過ぎたと思えば一食ぬかすのも自由だ。


 遊びに誘ってくれる友達も多いし、ボランティア関係の友達も増えた。昔の職場の上司がご飯に誘ってくれることも多い。
 本当に私は幸せだなぁと思うことが多々ある。


 それなのに、である。


 周りからよくかけられる言葉がある。
「幸せになってほしいと思っているんだよ」


 えーと・・・、それはどういう意味なんだろう?
私が不幸ってことなのだろうか?


 「親切心」から繰り出されるこの言葉は大体同じようなことに要約される。
つまり、
『再婚もせず、彼氏もおらず、一人で暮らしているあなたは「孤独」だから、誰か良い人を見つけて結婚するとか彼氏を作るとかして「幸せ」になってほしい』
ということらしい。


 私がいくらそういうものは必要としていないことを伝えても、彼らにすると、それは「やせ我慢」であり、「自分にブレーキをかけている」のであり、「もっと出会いを求めるべき」らしい。
 最近、飲み会に行くたびに、一部の人からそういうことを言われることが増えてきて、正直うんざりしている。


 私の物差しと彼らの物差しが違うので、どうやってもそこの相互理解を図ることが難しい。
だが、一方的に「価値観」を押し付けるのはやめてほしいと心底思う。


 私がこういうスタイルでいるのは、自分でそういう生き方を選んだから。
 最初から彼氏を求めなかったわけではないし、再婚を拒否していたわけでもない。むしろ彼氏と呼ばれる人といろいろいろいろお付き合いもしてきた。たぶん親切心で言ってくれている人たちよりも数多くの男性と、結果はどうあれ、お付き合いをさせていただいてきた。そうやって自分でいろいろな経験を積んだ結果、出産適齢期を大幅に過ぎたということや、結婚相談所ではもう見向きもされない年齢に到達したという事実も受け入れた上で、「私が一番幸せなスタイル」を自分の意志で選んだのだ。


 「ひとりでいるのはもったいない」とか「良い人はいるって」と言われると「いや、だから私は今こうしていたいって思っているんだから」と説明を試みるのだが、『恋人を作るべき』『独りでいるのは寂しい』という価値観の人たちからは全く理解されない。
 しまいには私もイライラしてきてしまい(一人が寂しいって感じるのはあんたであって、私じゃないんだよ!大体友達多いから寂しいって思ったことないし!)と心の中で毒づいてしまう。


 人は自分の価値観で生きている。だからその価値観でほかの人も見てしまうきらいがある。だが自分が良いと思うものが相手にとっても良いとは限らない。
 差し出したものを手に取るかどうかは相手が決めることで、手に取らないという選択をする権利は、当然相手にある。
 ましてや人生は、その当人が生きているものだ。「こういう選択肢もあるんじゃない?」と提案するのは良いと思う。でもその通りにしなければいけないわけじゃない。


 幸せになってほしい」の前に聞いてほしい。
「凌子の幸せはどんなもの?」


「幸せになってほしいのよ」ではなく、
「幸せでいてね」と言ってほしい。


 少なくとも今、私はとても幸せなのだから。