雨の日のくじらコーヒー

好きなことをぽつりぽつり。

わるくち

 悪口と愚痴の違いはどこにあるのだろう。
誰かのことを愚痴っていると、段々それが悪口を言っているような気分になってくる。
どこかで相手を批判する気持ちが強くなって、自分が辛かったという話から、相手が悪いという話になっていって、それでそういう気持ちになるのかもしれない。


 根底に優位に立とうという思いがあるのか、周りの人を批判したり、けなしたりする人がいる。他人には厳しいことを言うけれど、自分は平気で時間を守らなかったり、笑ってごまかそうとする人がいる。「自分も悪いけど」と枕詞は言うけれど、そのくせ全く悪びれた様子もなく相手の批判を繰り返す人がいる。
 そんな人がいつも近くにいて、そんな言葉ばかりを聞いていると、徐々に自分の心もむしばまれていく。だから距離を取ろうとしたり、相手の言葉にやんわりと違う見方(「でも彼女も頑張っていると思いますよ」とか)を伝えても、不服そうにさらに悪口をかぶせてきたり、こちらが聞く気がない態度をとっても気にせずに悪口を言い続けたりする人は多い。おそらく自分の言葉のほとんどが周りを貶める言葉になっていることに全く気付いていないのだろう。
 そんな人がいつも近くにいると、どんどんストレスが溜まっていく。自分のこともほかの人に同じように悪く言っているのだろうな、と相手への不信感が募っていく。そして気付くと誰かにその人のことを愚痴っているつもりが悪口へと変貌している。
 悪口は感染力が高いのだ。


 そんななか、どんな場面でも悪口を言わない人がいる。周りが何人かで集まって(大体女性が多いけれど)誰かのことを批判していても黙って聞いているか、何か別のことをしている(もしくはフリをしている)。
 とても賢い人だなと思う。そして感染力が及ばないくらい強いメンタル免疫の持ち主だなと思う。
 もっとも、そんな人のことを、「いつも黙っていてずるいよね」とやっぱり攻撃する人はいるわけだが。


 黙っていても喋っていても批判されるなら、黙っている方がいいな、と思う。
少なくとも悪口を言うことで、さらに自分の中に強いマイナスの気をため込まなくて済む。悪口は言えば言うほど相手を意識し、さらに相手への攻撃性を高めていくように感じる。発散されるどころか、どんどん怒りのマグマが溜まっていく。
 
 嫌いな相手に自分の貴重なエネルギーを注ぐなんて、なんてもったいない!その爆発的なマグマのようなエネルギーを自分の好きなことや家の片づけに使えたら、ずいぶんとスッキリするし、部屋もきれいになるはずだ。
 最近は、私も「悪口を言わない人」を真似ようとそんな風に思うようにしている。


 愚痴を言う相手も気を付けなければならない。愚痴のつもりが悪口大会にならない相手と喋らなければならない。
「ふうん、大変だったね~」と聞き流してくれる人でなければならない。聞き流せない人だったら、相手にもマイナスの感染力で不快な思いをさせてしまうし、結局のところ、「白峯さんはいつも愚痴とか悪口とかばっかり言っていて、一緒にいると疲れるんだよね」と言われてしまうかもしれない。


 聞く相手の気持ちも考えて。


 全く言わないで生きていくのは無理だし、それこそ変なストレスだけが蓄積されてしまうから、適度に放出しつつ。
 そして自分が聞き役の時も気を付けて。
 悪意の増幅力はすさまじい。自分で自分を穢さないように。無駄なエネルギーを使わないように。


 省エネモードで生きるようになって、そんなことも考えるようになりました。