雨の日のくじらコーヒー

好きなことをぽつりぽつり。

兄貴とねこさま

 私はまだ猫さまと暮らしていないから、これは私の妄想の範疇のお話。


 小学生のころ、我が家では柴犬を飼い始めた。少し大きくなりすぎて売れ残っていた柴犬に母親がなぜだか惚れ込み、彼は我が家の一員となり、末っ子の私のお兄ちゃんになってくれた。筋肉ムキムキで、ほとんど吠えない我慢強い犬で、私は彼のたくましい背中にいつも抱きついていた。母親に叱られて泣いていると、彼はそっと寄ってきて私の横にに座っていてくれた。私はそんな彼の背中にしがみついてグスグス泣いていた。彼は人間だったら、さしずめ大柄で柔道やっているけれど、目は穏やかで優しい寡黙な青年だったんじゃないかと、いまだに私は妄想している。そしてそんな彼のたくましい茶色の背中にいつも抱き着いていた私は、そんな人間の男性を理想としていたはずなのだが、短期間で終わった結婚の相手はひょろりとした言葉数の多い人だった。残念。


 そんな原風景があるおかげで、私は長らく自分のことは「犬派」の人間だと思って生きてきた。人生のほとんど大半は「犬派」だと思っていたように思う。 


だが実はそれは間違いだったようだと気が付いたのは、ほんの2年ほど前である。
2年ほど前から、私はとある施設で保護動物のお世話ボランティアを始めたのだが、その中でこの間違いに気が付いたのだ。
 最初は犬のことが好きだからこのボランティアで犬を触りまくろうという、ほとんどのボランティアさんたちの「殺処分される犬猫を一匹でも救おう」という高い志とは全く違う、完全に自分本位の動機で始まったボランティアである。


 ところが、始まってみると何かが違う。いろんな犬のお世話もするのだが、なぜだかそこまで可愛いと思えないのだ。もちろん特別にかわいいのもいる。だがそこには法則性があった。非常にシンプルな法則だ。
つまり、「柴犬はかわいい。あとはかわいいと思えない。」である。
完全にブラコンだ。柴犬兄貴の背中で育った私には、兄貴と同じ毛色の柴犬以外、かわいいと思えないのだ。
「なんだ、私。犬好きじゃないんだ。柴犬好きなだけなんじゃん。」
自分の性癖に気付き、なんとなくやる気度が落ちつつも、私はボランティアを続けていた。まあ確率は低いが、たまにかわいい超絶かわいい柴犬と会えることもあったからだ。


 そして、そうこうするうちに、施設の都合で猫のお世話を任されることになった。
 猫を飼った経験はなくはない。柴犬の兄貴が亡くなる前に、父親が拾ってきた野良子猫が実家にいた。兄貴はずいぶんと弱ってきていたけれど、寡黙に子猫の相手をしてやっていた。子猫のいたずらが過ぎると、小さな声で吠えてたしなめたりしていた。
私の中で、猫は「兄貴」の面影をしのぶ演出効果的なキャラ程度にしか思っていなかった。


ところが。どうだろう。実際にボランティアで猫のお世話をするうちに、私はすっかり猫に魅了されてしまった。なんてかわいいんだろう!なんて面白いんだろう!なんて素敵なんだろう!!
猫がただ寝ているだけで写真をたくさん撮りたくなるのはなぜなんだろう。猫が膝に乗ってきたときの幸せな気持ちはなんなんだろう。
そう、完全なる猫さまのしもべの境地に至ったのだ。
そうなると今度は自分のご主人様がほしくなる。自分だけの猫さまがほしくなる。


私は猫さまをお迎えできるマンションを探し、先月引っ越しを済ませた。家賃が2万円ほど上がってしまったので、生活費を抑えないといけないが、それでも猫さまをお迎えできるためなら、いくらでも人間の分は節約してやろうじゃないの!という思いでいる。


世の中は猫ブームらしい。確かに犬のように散歩はいらないし、放っておいても好きに過ごしてくれるところはある。
でもただ単に好きだから、かわいいからってだけで、猫さまを飼ってはいけないなぁと私は思っている。
最期まで猫さまのお世話ができるか。猫さまが病気になっても面倒を見られるだけの甲斐性があるか。そういうことも大切だな、とボランティアをしながら学んできた。


今は私は猫さまのしもべになるための準備を整えている段階。
でもいつか、猫さまが来てくれたら、私はしもべとしてがんばってお仕えしようと思っている。
柴犬を飼おうとは思わないのは・・・やっぱり兄貴以上の柴犬なんて、もう二度と、一生出会えないからなんだろうな。兄貴はオンリーワン。
ブラコンですから。